昭和33年
(1958)
・パチンコ玉補給装置登場。「ジンミット」(注*「神式景気をミットで受け止めよう」と命名されたもの)「コミックゲート」といった人気センター役物が登場。 コミックゲート(奥村) 一万円札登場。
東京タワー完成

昭和34年
(1959)
・「チューリップ」「無人機」開発。店が大型化し、一般景品の充実を図るようになってきた。 雷族横行。
皇太子御成婚。
国民健康保険。

昭和35年
(1960)
・「チューリップ」大人気沸騰! レコンジスター
マンモス(西陣)
零戦(平和)
所得倍増計画。
インスタント珈琲発売。
カラーテレビ本送。

昭和36年
(1961)
・「チューリップ」全盛期突入 入賞すると菓子がもらえる子供向けのものだった 東洋の魔女に人気。
コカコーラ日本に進出。

昭和37年
(1962)
・玉自動補給装置(西陣が「宇宙パイプ」「月光ライン」)を開発パチンコ玉の追加が無人化になる。パチンコが第二次ブームを迎える。 テレビ普及台数
一千万台突破。

昭和39年
(1964)
・東京オリンピックで海外にパチンコが知られるようになった。チューリップ付き遊技機が全国的に大流行。 ・風営法一部改正。遊技場の営業許可更新三ヶ月ごととなる。 東海道新幹線、
名神高速道路開通。

昭和40年
(1965)
・オリンピアマシン(パチスロ原型)登場。店舗数一万二千軒。 ユニパック(平和) 週休二日制始まる。

昭和41年
(1966)
・機械基準の緩和によってチューリップが普及。 ・自動補給装置が
実用化される。
百円札廃止。
ビートルズ来日。

昭和42年
(1967)
・景品単価の最高限度額は、二百円。 モナペット(平和)
アポロ(平和)
ヒッピー流行。
プラモデル流行。







昭和43年
(1968)
・最高設置台数を五百台に。駐車場付パチンコ店出現。過当競争防止のために自主規制。 三億円事件。
一千万円宝くじ発売。
メキシコOP

昭和44年
(1969)
・機械基準の緩和によって、連発式パチンコ十五年ぶりに復活。
★チューリップが普及。
・但し、発射出きる玉は、一分間に百発以内に規制される。
下クラゲ(三洋)
東名高速道路全線開通。

昭和45年
(1970)
・全国の店舗数が九千五百軒に減少 日本万国博覧会大阪で開催。

昭和46年
(1971)
・多くのホールが景品の充実に力を入れる。 パワーローリング(平和) 大久保清事件。

昭和47年
(1972)
・アレンジボール登場。郊外型ホールも登場。この頃、それまで立って遊技していたパチンコが椅子に座って遊技するようになっていく。 大三元(平和)

・貸玉一個が三円になる。
(二十四年ぶりの値上げ)
浅間山荘事件。
沖縄返還。
ミュンヘンOP。








昭和48年
(1973)
・電動式パチンコ台開発される。 ・パチンコメーカーの釘打がコンピューター制御化される。 金大中氏事件。
神戸太陽銀行合併。

昭和49年
(1974)
・「電動式役物」登場。郊外ボーリング場がパチンコ店に転換開始。 名馬ハイセイコー惜しまれ引退。小野田少尉帰国。

昭和50年
(1975)
・「開けチューリップ」(間寛平)がパチンコ史上初のヒットソングに。同名の映画(日活)も公開された。 沖縄海洋博開催。
ベトナム戦争終結

昭和51年
(1976)
・パチンコ人口三千万人に。 有馬記念一レース百九十万円の売上げが日本レコード。
モントリオールOP

昭和52年
(1977)
・この頃オシボリ・ドリンク等をサービスするホールが出現。 逆転パチンコ(平和)
テレパチ(西陣)
メガトンQ
パワールーレット

パチンコ産業1000億円に
芸能界大麻事件続発。

昭和53年
(1978)
・貸玉一個が四円になる。 成田空港開港

昭和54年
(1979)
・全遊協が十一月十四日を「パチンコの日」と制定。 東京サミット開催。

大正12年〜15年

昭和55年〜平成6年


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